2009.02.20

ヨメ またはダンナと いっしょに風呂に入ったことがありますか あなたは

こういう結果になっている。
みなさん、赤裸々にお答えいただいている。

ぼくの場合は「ないです」である。

いまになって思えば、
どこかで一度でもいっしょに入っておけばよかった。
と思う。いや、いまからでも遅くないので、
どこかでいっしょに入るのがよい
のかもしれない。

思い出は大切だと思う。
思い出は、あるだけ幸せだと思う。
思い出のない人生はつまらない。

辛い日々を送っているとき、
楽しかった、幸せだったという思い出は、
じぶんの心を救ってくれる。

いまはもう燃えるような関係にない
「わたし」と「あなた」も、
いっしょに風呂に入ったころは
なにがしかが燃えていたにちがいない。

そういう思い出は、
あるだけで幸せというもの。

「ないです」派は、いまからでも遅くないので、
そういう思い出をつくることにしよう。

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2009.02.15

不景気不景気というけれど こういう時代は危険だよ

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きょうは極楽だよ、
と隣にすわるおじいさんが口にした。

不景気不景気というけれど、
それにしても。
ただ、こういう時代は危険だよ。
国と国とが戦争をはじめたりしやすい。

「おじいさん、戦争へ行かれたんですか?」とぼく。

大陸へ行ったんだ。
中国のベトナムとの国境あたりまで行った。
戦争で経験したことは、
じぶんの胸のなかにしまっていて、
たまにふと思い出すことはあるけど、
家族にも話したりはしない。じぶんをおさえている。
話してもわからないと思う。

ぼくの伯父も、満州へいきました。最近亡くなりましたが」

16歳や17歳の少年たちが、
国にだまされて、たくさん行った。満州へは。
この県からもたくさん行った。

…若いころの戦争の体験を、
ぼくはもう少し聞いてみたかったが、
それ以上語ろうとはしないおじいさんだった。

たまたま旅行のバスのなかで乗り合わせた、隣の席のおじいさんの
記憶になかに、多くの人の記憶のなかから忘れ去られていく
戦争の記憶の断片があった。

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2009.02.14

モテ男になろう 女の子がワーワーキャーキャー言って騒いでくれる しごくかんたんな方法

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女の子にもてるための
もっともかんたんな方法は、
子犬をつれて歩くことじゃないかな。

ぼくも四十数年生きてきて、
女の子にもてたということは
ついぞなかったが。
ここ数年、比較的かんたんに
女の子にワーワーキャーキャー言われる。ことがある。

いちばん面白いのは、
散歩の途中で、
学校帰りの小学生の輪の中へ、
愛犬とともに突入していくというやり方。
これはおもしろい。
子どもらがワーワーキャーキャー言って喜ぶ。

まだ生後半年にもならない犬を無理矢理散歩に連れ出して、
道を歩いていたら、
「わー、かわいい。さわっていいですかあ?」
と女子高生たちが近づいてきて、
もうドキドキしてしまったことがあったが。
無愛想なおじさんに近づいてくる人は職務質問する警官ぐらいだろうけれど、
かわいい子犬をつれていることで
このように若い女性たちを引きつけることができるのである。

犬のもっている力というのは、すごい。

きょうは、
公園にあるでんがく屋さんのソラちゃんのところへ行って、
いっしょにあいさつをしてきた。

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2009.02.10

もうすぐバレンタイン ことしは 南高梅の梅漬けなんかで彼氏を喜ばせてみたら

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梅のなかの梅。キング・オブ・梅、
といえば、やはり南高梅だろう。

きのう食品展示会へ出かけて、
出展されていた南高梅の梅漬けを試食してきた。
それはそれは見事な味であった。10粒980円ということで、
バレンタインデーにプレゼントしたらどうかと
思うぐらいの値段だった。

いやいや。ことしの場合もう春である。
青春である。

なぜ「南高」梅なのかというと、
南部高校という高校の名前に由来するものらしい。
そんなところもいいよね。素朴な感じがして。

ところで。この日本という国においては、たいがい、地方には、
南高校と、北高校と、東高校と、西高校があって。
勉学やスポーツあるいはけんかやナンパなんかで
競い合っていたりするのだ。

「おまえ、どこの学校出たんや」
「南高じゃ」
「うわ、すげー。ほんじゃ、おまえ。相当やった方やろう」
「おう、相当やった。もうブイブイ言わしてやったわ」
「ひゃー」

てな会話が、日本全国津々浦々で、ほぼ共通の
会話として成立していると思っている。
いや、それはまさに青春の一コマの輝かしい記憶といっていい。

さて、バレンタイン。
老いも若きも、若きも老いも、熱い思いをのせて、
意中の人になにかをわたしてみてはどうだろう。

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2009.02.08

夜明けは近いんだろうか 岡林さん きょうも仕事は辛かったけれど

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夜明け前がいちばん冷え込むというのは、
キャンプをしているとよくわかる。たき火をしながら
いいかげん騒いで遊んだ連中も、テントのなかで
疲れて眠っている。そんななか、寒さで目が覚める。

 友よ 夜明け前の 闇の中で
 友よ 斗いの 焔を燃やせ
 夜明けは近い
 夜明けは近い…
(「友よ」作詞作曲・岡林信康より)

夜明けが近づくほど、夜の闇は濃くなるんだよなって。
岡林のこの歌を思い出す。この半年、この世間は、
どうにも闇が濃くなっているんじゃないか。

毎日が辛いなあ、辛いなあ、と思って。
その辛さがいいかげんピークに達してくると、ぼくの場合は、
「もうどうでもいいや」って気分になって。
この歌を口ずさんでいたりする。

 友よ この闇の 向こうには
 友よ 輝く 明日がある
 友よ 君の涙 君の汗が
 友よ 報われる その日がくる
 夜明けは近い
 夜明けは近い

この歌の題名の通り、友よ、って呼びかけが、欲しい。
呼びかけられる相手が欲しいし、呼びかけてくれる相手が欲しい。
ひとりで闘うのはしんどい。

同僚たちよ。サラリーマンたちよ。っていうか労働者たちよ。
報われぬまま、闇のなかに押しつぶされていくんじゃ、哀しいぞ。

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2009.02.07

社長はひとを切る ヘイヘイホー ヘイヘイホー

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社長はひとを切る
ヘイヘイホー ヘイヘイホー
恨みはつのるよ
ヘイヘイホー ヘイヘイホー
部長は肩を叩く
トントントン トントントン
恨みはつのるよ
トントントン トントントン
社長 社長 もう赤字だよ
社長 社長 労組が呼んでいる
ホーホー ホーホー

会社のウラには
ヘイヘイホー ヘイヘイホー
総会屋が来るよ
ヘイヘイホー ヘイヘイホー
部長は下手を打つ
トントントン トントントン
まぬけな奴だよ
トントントン トントントン
社長 社長 もう終わりだよ
社長 社長 お上が呼んでいる
ホーホー ホーホー

(「与作」の替え歌)

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2009.02.03

貧乏がふつうの国になっていくのか 平成21年 それはそれで

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岡林信康の歌にいまふたたび注目が集まろうとしている。らしい。
小林多喜二についで、岡林。という思いがする。

 うちがなんぼはよ おきても
 お父ちゃんはもう くつトントンたたいてはる
 あんまりうちのこと かもてくれはらへん
 うちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのん…

「チューリップのアップリケ」は名曲だと思う。

カラオケでこれを歌うと、暗いといわれた。
暗くても、いいものはいいんだっ。
そういう「暗い」といわれた歌に人が魅かれていく、
共感していく、ってことは、世相がそこにあらわれてるんだろうね。

ぼくが学生時代をすごしたのは、1980年代。
世はバブル景気にわき、華やかなもの、派手なものが人気を
あつめていった。軽重浮薄の時代ということがいわれた。
世の流れに反して、ぼくは、暗いもの、重厚長大なものへと
気持ちがひかれていった。なぜか。

「貧乏」という言葉が、ふだんの生活のなかで普通に発せられる、
そういう時代に育った。ウチがとくだん貧乏だったわけではない。

 「子どもの頃、貧乏の子、貧乏の子といってよく苛められた」

叔母が口にしていた言葉が耳にのこっている。
とくだん貧乏だったわけではないが、家族の者が「貧乏って
どういうことなのか」ってことをいつも意識しながら、
少しでもくらしをよくしようとつつましく生きていた。
そういう感性が、ぼくのなかにも染み付いている。

けれど、いつのころからか、「貧乏」という言葉が
生活のなかで違和感をおぼえる、そういう雰囲気になっていった。
貧困というものは、身近なところにはない、地球上のほかの
国での出来事のような感覚になっていった。

「チューリップのアップリケ」は歌う。

 みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
 そやで お母ちゃん 家を出て行かはった

貧乏が悪い。貧乏のせいでうまくいかない。
どうして貧乏なんだろう。そういうことを意識せざるをえない、
そういう時代になっていこうとしているのだろうか。

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2009.02.01

串カツ王国へようこそ 微笑みの国からやってきた 合掌

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お千代保稲荷へやってきた。
日本三大稲荷のひとつといわれる。

毎年のことながら、初詣に行きそびれ、いまごろ、
遅きに失した感はあるが、ともかく串カツでも食いにいこうやと、
まるで不純な動機でもってやってきた。

きょうは、ものすごい人である。
東海三県の串カツファンが全員集合してしまったのではないかと
思うほどの人手である。連れの犬はもうもみくちゃにされてしまって、
少々疲れ気味。わたしも疲れ気味である。

神社のなかへはいることはあきらめて、
入り口のところでたたずんでいたら、連れの犬を
かわいがってくださる人がいて、いっしょに写真をとったりしたが、
なんとはるばるタイからやってきた3名であった。

お千代保稲荷もタイまで知れ渡るにいたったかと
思ったが。そうではなくて。三重県内へ研修にきていたが、
きょうは研修旅行の最終日で、オフであったので、
たまたまやってきたということであった。

いや。わたしが聞いたわけではない。
妻が、あやしげな英語と中国語とを駆使して、
聞き取った内容がどうやらそういうことらしかった。
しかし妻の英語や中国語より、相手の日本語の方がはるかに
上手であったことはいうまでもない。

「ナマステ」

最後に妻がこう言って、合掌した。
すると、彼らも手を合わせて、お辞儀をしてくれる。
おお、すごいじゃないか、妻よ。いつのまにおまえはそんな
タイ語を習得したのだ、とにわかに感心したが。
あとで調べるとこれはタイ語ではない。チベット語だとか。
南無阿弥陀仏の意に通ずるらしい。

さすが仏教の国の人たち。妻のいい加減な挙動を
理解してくださって、ありがとう。

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2009.01.31

早咲きの 鶯の宿という名の 梅が咲いた 日本人が浮かれる季節も近いってもんだ

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「6本咲いとる。6本咲いとる」

おじさんは、会う人会う人に、公園の梅の開花状況を
レポートしていた。数えたところが、このおじさんの
えらいところだ。なにせここの梅の木は相当あるんだから。

ここの公園には、にわか梅評論家、みたいな
おじさんやおばさんがたくさんいる。

「ことしは開花が少ないなあ…」
「肥料のやりかたが足りなかったんだ」
「むかしにくらべると梅の木に力がない…」
とか、枝の剪定がどうのこうのとか。

そんな会話が毎年くりかえされる。

公園の木を世話しているのは、市の嘱託の職員の人たちだ。
そういう梅評論家たちの、つまり、金も手も出さないけれど
口だけは出すぜ、という方たちの論評を聞き流しながら、
もくもくと仕事をしておられる。

まあ、いい。公園はみんなのものだ。
いろんな人が来て、知らない人ともしゃべれるところが楽しい。

みんなが開花を心待ちにしているのがわかる。
なんだか暗いニュースばかりの2009年も、
いつもの年とおなじように梅は咲く。

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2009.01.30

ギター好き達よ 集え 飲め 歌え 仕事のことや家族のことなんかみんな忘れちまえ

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さびれた歓楽街のはてに、その店はあった。

さびれた歓楽街。
それは、行けども行けども、
客引きのお兄さんしか姿がなく、
客がひとりも歩いていないところであった。
見渡すと人の姿はそこそこあるのだけれど、
じつはそれらはみな客引きのお兄さんがたであった。

これがわたしの街のいまの姿なんだな。
お兄さんがたは、そんなところに立っているより、
ハローワークへ行った方がよいのではないかと思ったりもした。

その店。も、客がひとりもいなかった。
いや、ふだんはいるらしかったが、
その夜はいなかった。ということらしかった。

楽器がいっぱい置いてあって、
お客さんが弾いて歌うのを楽しんだり、
アマチュアバンドが演奏するのを見て楽しんだりする、
マスターの言葉では「参加型」のライブハウス。
いわゆるライブハウスではないけれど。
とにかくみんなでセッション風に音楽を楽しむ店。であった。

同僚が、ギターをとっかえひっかえしながら、
うたい、そしてぼくもうたわされ、
仕事のうっぷんを発散しようとした夜であった。

学生時代を思い出した。
同級生の下宿にみなが集まって、ソングブック一冊と
ギター一本を囲んで、とにかくうたいまくった。
それはいい夜だった。いまもありありと思い出すことができる。

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