モノが自由に手に入らない中 知恵と工夫でいろいろ作った あのころ一番生き甲斐があった

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Save0338aぼ くのおじさんである。やりたい放題やって、親戚に迷惑をかけまくり、昭和を生き抜いてきた男である。1922年生まれ。16歳で「満州」へ渡る。戦争中の 43年、南方戦線への移動中に敵潜水艦の魚雷を受けて沈没し、一週間海上を漂流した。それから36歳の時に妻とともに南米ボリビアへ移住して30年あまり を過ごす。製材業で一財産を築いた。91年に帰国。その後ハンセン病を発症。2006年に他界した。


<ジャングルおじさん 正一は語る その2>

モノが自由に手に入らない中 知恵と工夫でいろいろ作った あのころ一番生き甲斐があった

鉱山街のオルロへ行ったときのこと。
市が開かれていたよ。
山の方から買い出しにくる先住民たちがいてね。
その買い出しの人たちは、
豚や鶏を持ってきて売っては、
かわりに塩や米、それから空き瓶や古釘まで買い入れて

帰っていったよ。

 ボリビアの西部に、
 アンデス山脈が連なっている。
 オルロの街はそこにある。
 その山岳地帯に先住民族の人たちが生活していて、
 彼らは鉱山で働くことをおもな仕事としていたが、
 生活は貧しく厳しかった。

オルロへ行ったのは、
そのころ稲作で収穫した米が売れなくて
在庫になっていたから、
トラックに積み込んで売りにいったんだ。

ボリビアじゃ、とにかくモノがなかった。

 ボリビアのおもな輸出品は鉱物資源で、
 工業製品はほとんどが輸入。

わしは、稲作や養鶏業をやったあとに、
壊れた製材機を一台手に入れて、
製材業をやっとったんだけど。
その壊れた製材機をなおすのに、
足りない部品を手に入れるのに苦労したよ。

ノコギリは、サンタクルス市でユダヤ人が
やっていた金物屋で手に入れた。
動力を伝えるのに使うベルトも、
サンタクルスのドイツ人がやっていた金物屋で
手に入れた。

歯車はじぶんで作ったし。
レールは、鉄道のレールをかっぱらってきて使った。

でも、モノがないなかで、
いろいろ工夫したりしながら必要な道具や機械を作って
仕事をした。このころが一番生きがいを感じていたな。


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